過去は変えられないけど、未来なら変えられる。 そう、自分の力で。/メゾンランドゥメンヌジャポン 代表取締役社長 石川 芳美
こんにちは!ライターの咲奈です。
仕事への愛にPRをかけ合わせたら「POWER」になる、がコンセプトのインタビュー企画「LOVE×PR=POWER」。今年2026年、WORKING FOREVERは会社設立から7年目を迎えます。この記念すべき節目の年にご登場いただくのは、「メゾンランドゥメンヌ」オーナーでブーランジェ(パン職人)の石川芳美さんです。
石川さんは単身パリに渡り、修業の後ブーランジェリー(パン屋)を何店舗も経営、パリっ子の舌をうならせ、その後日本でも評判のブーランジェリーを展開しご活躍されています。パン職人であり、実業家でもありながら、日本・フランス両方で個展を開くなどアーティストとしての顔も持つなど本当にパワフルで魅力的な女性です。そして、実はWORKING FOREVER誕生のきっかけになった人物でもあるそうです。聞き手は西澤がつとめます。
人生が動いた、石川さんとの出会い
-独立し、WORKING FOREVERを立ち上げて7年が経ちました。独立する前、何度もメゾンランドゥメンヌに足を運んでいました。
石川さん:覚えてますよ~!しかもこの席でね。
―独立する前のわたしは、「(外の世界に)飛び出したい」けど「飛び出せない」という状態でぐるぐる考え続けている、なんて言うか、何年も「バンジージャンプを飛べない人」みたいな感じでした(笑)。
石川さん:そうそうそうそう!!(笑)。わたしなんか、「独立しちゃえばいいのに」って、いっつも言っちゃっていた気がします(笑)。
―子どもがまだ小さかった頃は、大きな会社という組織の中で日々いろいろ納得いかないことや理不尽なことがあっても、自分の心に折り合いをつけながらやり過ごしていくことができていました。もちろん、どんな仕事にも好奇心を持ちながら。子育てをしながら現場で奮闘する私を支えてくれた上司や同僚・後輩たち、会社に対して感謝の気持ちも大きかった。でも、「メゾンランドゥメンヌ」の日本上陸PRの仕事を担当したときに、自分にとって仕事とは何か、そして自分にしかない力が発揮できる仕事とは何か、を突きつけられた気がしたことを覚えています。
石川さん:出会ってしまいましたね(笑)。もう11年前ですね。「ランドゥメンヌ」って、言いにくいし、覚えにくい名前だし、日本でブーランジェリーを展開するにあたりPRが必要だと思ったのです。それでいろいろなPR会社に声をかけている中で、当時西澤さんがいらした会社にも問い合わせをして。
―当時わたしは部署全体で一つの大きなクライアントの広報業務を担当する傍ら、新規開拓も任されていました。ある日会社の代表電話に来たお問い合わせをわたしが対応することになりました。それがメゾンランドゥメンヌでした。石川さんとはじめてお会いした時のことを強く覚えています。
石川さん;まだ私の娘も小さかった頃ですね。フランスから日本に一緒に連れてきて、この店がまだ建設段階の頃でしたね。
―小さなお嬢さんがオフィスを元気に駆け回っていらっしゃいました(笑)。石川さんもその頃はロングヘア―で、可愛らしい女性青年実業家というフレッシュな印象で。わたし、石川さんの魅力は変化しつづける、というところだと思うのです。お仕事の話が入ってくる前に、たまたま家でテレビを観ていたら、「世界の日本人妻たち」という番組で石川さんが登場されていらしたのを拝見していました。
石川さん:そうでしたね!そのお話もよくしましたね。
―特番で、世界で活躍する日本人女性を3名ほど取り上げている中で、石川さんが一番印象に残っていたのです。若くして日本でご結婚され、3人のお子さんをご出産され、30代前半でご離婚、そして単身渡仏し、メゾンランドゥメンヌをパリでオープンされる。感動的な回で、私も泣いてしまったのですが、辛口コメントで有名なタレントの方も号泣していました(笑)。
石川さん:オープニングPRのとき、西澤さんと「あのタレントさんも来たらうれしいですね!」と話していたら、本当に名前を挙げていたタレントさんたちがことごとくバラエティや情報番組の取材で来てくださいましたもんね!!
―本当に(笑)。こうしたい、ああしたい、と石川さんと一緒に強くイメージして言葉にすると、いろいろ実現していった記憶があります。
石川さん:当時のこと、ありありと覚えています。本当に忙しかったですよね。行列が止まらなくって。オープンから1ヵ月間、わたしは一日も休まず店に立ち続けて。フランスからもスタッフたちがたくさん駆け付けてくれて。取材も止まらずにね。いろいろなメディアで取り上げていただいたのはもちろん、最初の段階でしっかりブランディングができたから今があると、西澤さんに感謝しています。
ー華奢で小柄な日本人の女主人が、大きな体のフランス人の男性たちに囲まれながら店を切り盛りしている姿。そして時々ご主人のロドルフさんと石川さんがチュッチュチュッチュとフレンチキスをしていたのも印象的で(笑)。日本にいながらパリをめちゃくちゃ感じながらお仕事させていただいた幸せな時間でした。
石川さん:懐かしいですね。お祭りみたいな感じでしたもんね。
―そんな風に、メゾンランドゥメンヌ、というか石川さんとのお仕事はわたしの中でとても強く印象に残っていて。石川さんの言葉ひとつひとつが熱く、力強く、びしびしと心に突き刺さっていて、「こんな風にちゃんと自分の言葉で喋る人でありたい」と強く感じました。
石川さん:うれしいですね。
―大きな組織の中では、熱さよりも、平熱で波風立てないスマートさが求められている気がして、それが当時の私にはとても生きづらく苦しく感じていました。そんな中、石川さんのようにまたランドゥメンヌのように、「温度のある言葉で伝え、求めてくれている人がいる、その熱量共有しながらともに突っ走る」という仕事を経験したことが、まさにわたしの役割だ、と強く感じたのです。
石川さん:まだお子さんも小さかったし、会社を辞めて独立することに躊躇していた姿を見ていましたが、当時すでに西澤さんは自分の世界観をもって仕事をしていたので、私は大丈夫だと思っていました。
ー今でも蘇るのは、インタビューしているこの場所で、「今はもう担当部署ではないのでランドゥメンヌの担当を外れるかもしれません」とお伝えしたら、厨房の前にいらした石川さんが「嫌です!私は西澤さんと仕事をしたいんです!!」と言ってくださったこと。
石川さん:覚えてますよ~。
―石川さんの後ろにいらしたお店のスタッフの方々もうんうん、と頷いてくださった姿が目に焼き付いています。その日、会社へ戻る道すがら涙が止まらなかった(笑)。
石川さん:飛び出したほうがいい、って、背中を押しちゃった側でしたね、私。
―石川さんと、スタッフの皆さんが真っ直ぐな目でこちらを見つめる姿に、今まで「まだダメだ」「まだ早い」と、当時自分の心にだましだまし押さえつけていた(新しい世界に)飛び出したい!という欲求が、いよいよ止められないものになった瞬間でもありました。例えて言うならインドの汽車(人が覆いかぶさるように乗っていて、次を逃したらいつくるかわからない)が「今!今!今!!!!」と、なんていうか、けたたましい警笛が頭の中に激しく鳴り響いてどんどん強くなる、そしてもう止められない!!「飛び乗れ!」というような(笑)。そんな感覚がどうしようもなく止まらなくなった。
自分の心の中で抗えないくらいはっきりと見えてしまった人生の分かれ道を目にして、涙が止まらないまま、目も鼻も真っ赤にしながら会社に戻っていったのを、今すごく久しぶりに思い出しました。
石川さん:そうしてワーキングフォーエバーも7年目ですものね。本当におめでとうございます。
―背中を押してくれた、引き金を引いてくださった(笑)石川さんに感謝しています。もちろん大変なことばかりですが、独立してからの今の私は、どこを切り取っても「わたしめっちゃがんばっている!!」、と自信を持って言える、それこそがとってもちっちゃいことですが、7年走ってきた今の自分の誇りであり、一番の財産かもしれません。
石川さん:お互い思い出がいっぱいですね!あの時西澤さんの背中を押して本当によかったと思っています。
波瀾万丈を楽しめる心持ちで
―わたしにこんなに大きな影響を与えてくださったように、石川さんの生き方、夢に向かって真っすぐに駆け抜けていく力は、きっとたくさんの女性たちを勇気づけると思うのです。今日はそんな風にいろいろお聞きできたらと思っています。
石川さんには3人の息子さんと、現在のご主人ロドルフさんとの間に授かったお嬢さん、合計4人のお子様がいらっしゃるのですよね!
石川さん:はい、長男は今パリ在住で、パリで漬物屋とお弁当屋を営んでいます。
石川さんは20代前半に地元・広島の老舗お漬物屋さんに嫁いで、3人の息子を授かり、発酵つながりで興味を持ったパンに魅せられ、地元でパン教室を開くなどをしていました。その後離婚を経験。一念発起して30代前半単身パリに渡り、そこでパティシエのロドルフさんと出会い、再婚。二人で職人の手仕事を大切にした伝統的な製法のブーランジェリー・パティスリー「メゾンランドゥメンヌ」を立ち上げる。娘さんを授かり、現在は、パリと日本を行き来する生活を25年以上続けています。
―:石川さんご自身、もともと書道家であり、エレクトーンの先生でもあり、パン職人となってからも、絵を描き続けてきた多才な方ですから、似ている部分があるのでは?
石川さん:次男は営業関係の仕事をしており、三男はミュージシャンとして活動中です。実はパリの長男も含め、3人ともどこか私と似て、芸術家タイプかもしれません。
―わたし、石川さんのエピソードで一番好きなのが、35歳で単身渡仏された後、“流しのパン職人”としてパリで有名なブーランジェリーを何軒も掛け持ちしながら働いていたというお話です。
35歳、単身渡仏。「流しのパン職人」として何件ものパン屋を掛け持ち修業
石川さん:何曜日はここ、何曜日は別のパン屋、と。そのうち、「Yoshimi、この日来れる?」という風に声がかかるなどして、全部で8軒くらいの名だたる有名店で修業させてもらいました。寝る間もなく大変でしたけど、吸収するものが多く、とっても貴重な日々でした。
石川さんのパリでの修行時代のお写真
―:それだけじゃなくて、当初は旅行ガイドや留学のエージェントもやるという…。
石川さん:パリで製菓やパン作りを学びたい人への留学事業は今もやっています。
―:パン職人として修業中で、留学サポートまでしている面白い日本人がいる、と友人から聞いた再婚相手となるロドルフさん。わたしよく覚えています「君と僕が組めばパリを制覇できる!」とロドルフさんが熱烈にアプローチされたお話(笑)。
石川さん:そうですね、「こいつだ!!」 と思われちゃった感じかもしれません(笑!)。
―:ご主人のロドルフさんと石川さんの関係を見ていると、「ああ、本当にお互いを伸ばし合う関係のご夫婦っているのだな、とっても素敵だな」って思います(笑)。
石川さん:確かにね。互いに互いの力を伸ばし合う関係。今でもそうです。ビジネスパートナーですね、ちょっと愛のある(笑)! 私たちは夫婦ですけど、一年の半分は離れて暮らしていますし、私が日本に来たらそれこそ仕事に没頭。彼は、私がやりたいと思うことならどんどんやれ、というタイプ。私もロドルフにそう言っています。
焼き上がりのパンを試食をするときの多幸感!これがあるからやめられない
石川さん:今、北海道から取寄せた希少小麦を使ったパンを2種類試作中で、焼けたらぜひ食べてみてください。
―:ありがとうございます。(パンをいただきながら)そう!そう言えば、初めて石川さんにお会いして打ち合わせさせていただいた際も、パンを試食させてくれましたよね。そのおいしさは忘れられません。会社に戻りPRチームの仲間にも食べてもらったら、言葉で説明する以上の説得力で。何にも勝るプレゼンだと思いました。
―:おいひぃ(美味しい)デス! サクランボにキウイにパイナップル、フルーツがゴロゴロしていて、食感も楽しい。
石川さん:いい香りだわ~! 私が今でもパン作りの現場に入るのはこの瞬間があるからなんです。
職人としての到達点、そして次なる挑戦へ
―:2年ほど前には、フランスでお城も所有されたと伺いました。初めてお会いした際、石川さんはすでに「いつかお城を買いたい」という構想を語っておられましたが、有言実行される姿には驚かされます。
石川さん: いつも5年、10年といった少し先の未来を思い描き、そこから逆算して今どう動くかを決めるようにしています。お城を持つという夢も、描くのは自由ですから。現在は財団を設立し、古代種の小麦の栽培や研究に取り組んでいます。昨年は村の人たちと、収穫した小麦を使って古い薪窯でパンを焼く教室を開きました。粉をこね、共に焼き上げる。その瞬間の皆さんの笑顔を見た時、職人として一つの到達点に立てたような、深い感慨がありました。
―:それは素晴らしい喜びですね。そして2025年には画家としての本格的な活動も開始されました。
石川さん: はい。パリと日本で個展を開催しました。2026年も5月に東京・青山で開催、秋にも予定しています。実は今年は日本とフランスの両国で書籍の出版もします。日本では既に4月に刊行したライフスタイル本「フランス流自分に素直に生きる方法」 (宝島社より発行)、そしてフランスではパン作りの専門書と、全く異なるジャンルでの挑戦になります。
「学び」に終わりはない。50歳から美大受験コースへ
―:石川さんの凄さは、どれほど成功しても「学び直し」をいとわない姿勢にあると感じます。先日の個展で拝見した絵も本当に素敵でした。
石川さん: 50歳になった時、ふと「このままでいいのか」という気持ちになったのです。30代に突入し、離婚、うつ病など人生のどん底にあった際、ふと絵が描きたくなったんです。書道家でもあったから、筆が恋しかったのかもしれない、と今になって思います。
そうしてずっと書き続けてきた絵ですが、ロドルフからも「芳美は絵が上手なんだからきちんと学んだら」と言われ続けてはいました。でも事業も拡張を続け、子どももまだ小さいし、「いったいいつ学ぶの?」って、先延ばしにしていました。そこで思い切って現役アーティストが教えるアトリエに通い始め、先生の勧めで美大受験コースにも進みました。仕事終わりの夜や休日を使い、週3回ほど基礎からみっちり鉛筆画や水彩画を学びました。若い受験生たちに混じっての2年間は、本当に刺激的で楽しい時間でしたね。
「台風の目」として生きてきた葛藤と、暗闇の時代
―:かつての広島時代、30代の女性を支援する「サーティーズ・パーティ」を主宰されるなど、常に時代の先を走っておられました。当時からパワフルな印象ですが、ご自身の中では葛藤もあったのでしょうか。
石川さん: 当時はSNSもなく、今とは価値観が違う時代。若くして結婚して老舗の女将として家を守ることが求められる中で、動き回る私は周囲から「なぜ普通にできないのか」と言われることもありました。当時のわたしは、自分が動くと物事が大きくなり、周りを巻き込んでしまう。まるで自分が「迷惑な台風の目」のように感じて、自分自身を肯定できずにいたんです。
―:その葛藤が、後に伺った心身の不調にも繋がっていったのですね。
石川さん: はい。離婚や子供たちとの別れが重なり、うつ病や適応障害と診断された時期もありました。後悔に苛まれ、当時の記憶が一部欠落しているほどです。でも、どんなに悔やんでも過去は変えられない。それなら、将来子供たちが大きくなった時に「この人がお母さんでよかった」と胸を張れる人間になろう、と心に決めたんです。
「お母さん、ありがとう」——歳月が溶かした親子の壁
―:お子様、特に長男さんとの関係修復には、時間がかかったと伺いました。
石川さん: 長男とは、一時期かなり距離がありました。彼が東京で一人暮らしをしていた頃、私が食事を作りに通っても会話がない、言葉はかわせても目は合わせてくれない。そんな時期が続きました。でもある日、いつものように「明日パリに帰るね」と部屋を出ようとした時、彼が「お母さん、ありがとう」と言ってくれたんです。その瞬間の喜びは忘れられません。帰りの電車で涙が止まらなくなって……。今ではパリで頻繁に会い、一人の人間としてリスペクトし合える、とても良い関係を築けています。
10年後の自分を救うために、今日の行動を決める
―:華々しい成功の裏にある葛藤を知り、改めて石川さんの言葉の強さを感じました。今、何かに迷っている女性たちへメッセージをお願いします。
石川さん: 「私と同じように頑張って」とは思いません。ただ、自分を信じてあげてほしい。人生は一度きりです。もし現状を変えたいなら、5年先、10年先の未来を思い描き、そこから今日の行動を決めてみてください。
10年後に「あの時こうしていれば」と後悔するのは本当にしんどいこと。夢を描くことは誰にだって自由なのですから。過去は変えられないけど、未来は自分の力で変えられるから。
―:石川さんの人生の歩みそのものが、多くの人の背中を押す光になると確信しています。そう、あの頃のわたしのように!本日は本当にありがとうございました。
Photo by Akiko Sugiyama
Profile
石川芳美さん/メゾンランドゥメンヌジャポン 代表取締役社長
製法や原材料にこだわったパンやお菓子の店「メゾンランドゥメンヌ」をフランス・パリに展開。2007年の1号店を皮切りに、現在はプラントベース(植物性原料)の素材で作るパンの店「ランド&モンキーズ」と合わせ、日仏で40店舗あまりを展開。2026年宝島社より初の書籍「フランス流自分に素直に生きる方法」を出版。
「フランス流自分に素直に生きる方法」 (宝島社)
石川芳美さんがフランスで学んだ生きるヒントや女性が輝く働きかた、素敵な歳の重ね方、おしゃれの楽しみ方を、フランスで撮影した写真や文章を書き綴った一冊。
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[編集後記]
WORKING FOREVERのインタビューに立ち会わせてもらうたびに感じる何か。それは西澤さんの一本筋の通った仕事のやり方だったり、言葉選びのセンスだったり。今回、石川さんが「西澤さんには当時すでに独自の世界観があった」と語るのを聞いて、コレだったか!と納得がいきました。7年目の最初のインタビュイーが石川さんで、“ご縁”の持つ不思議な力を感じました。(ライター・咲奈)
ランドゥメンヌの日本上陸PR後、ご褒美としてパリへご招待いただきました。当時9歳だった息子と本店近くに滞在し、石川さん親子とマルシェを訪れたり、パリ中の店舗を巡ったり、最後にはセーヌ川のほとりでスリにも遭ったり(笑)。石川さんの案内で過ごした「暮らすようなパリの日々」は、今も宝物のような思い出としてわたしの心に残っています。(WORKING FOREVER 西澤)
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